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大阪家庭裁判所 昭和39年(少)15982号 決定 1965年4月23日

少年 K・K(昭二一・九・二七生)

主文

この事件を大阪地方検察庁検察官に送致する。

理由

罪となるべき事実は司法警察員作成(昭和三九年一一月七日付)少年事件送致書記載中「被疑者は」の次に「他一名(氏名不詳)と共謀の上」を加えるほかこれと同一であるからこれをここに引用する。

右引用の事実は

一、当裁判所の証人渡辺○清、同小○○二、同小○○サ、同小○登、同小○○一に対する各証人尋問調書

一、司法警察員に対する渡○清、小○○二、小○○サ(三通)の各供述調書

一、渡○清作成の答申書

一、当裁判所の検証調書

一、司法巡査作成の現行犯人逮捕手続書

一、押収してある安全カミソリ(たてに半分に割れたもの)一枚、手帳のメモ一〇枚、手帳一冊(当庁昭和三九年押第二〇〇二号の符号一乃至三)の存在

によつて認めることができる。

この事実は、刑法第二四三条第二三五条第六〇条に該当する。

この事件については、当庁から昭和三九年一二月九日大阪地方検察庁に逆送したところ、同庁検察官は、同月一八日「(罪名)窃盗未遂、(少年氏名)K・K、右少年事件は貴裁判所から刑事処分を相当とするものとして送致を受けたところ後記の理由により訴追を相当でないと思料するので右事件を更に送致する。理由、公訴を提起するに足りる犯罪の嫌疑がない。犯罪の嫌疑はないが少年にはこれまで恐喝、窃盗等により保護処分を受けたこともあり現在保護観察中にして不良仲間と交友しておりこのまま放置すれば再犯の虞が顕著と思料されるので虞犯少年としての保護措置が望ましい」として、この窃盗未遂事件を、当庁に再送致して来たものである。

記録と証拠物を検討すると、少年は終始否認しているけれども、(一)少年が、ズボン下シャツ姿で中腰で、渡○清の衣類を入れていた六五番のロッカーの扉を手が入る位に開いて、手を入れていたのを目撃した小○○サの供述調書三通があり、昭和三九年一一月五日付供述調書で右○サは、少年が衣類を着るのなら衣類を取出すはずなのにそうしないので不審に思つたが、チリ紙でも探し出して便所にでも行くのかなと思いながら注意して様子を見ていた。すると少年を番台から見えないようにするために間に年齢二三、四歳位身長五尺二、三寸位、髪の短い丸顔で浅黒い男が立つていた。益々あやしいと思つて見ていると少年が暫くして右ロッカーから手を出し鍵を閉め、反対側の七九番か八〇番のロッカーに行き、そこで衣類を着始めたので、少年が他人のロッカーに手を入れていたのだとはつきり判つた。主人を呼んで少年の傍に行き「今あんた六五番をあけましたね」と言つたところ少年は「あけたけれど何もとつていない、調べろ」と顔を青ざめて怒つていたと述べていること、右○サは三九歳で番台に座つて見ていたこと、番台と六五番ロッカーとの距離は僅か二米五〇糎であることも同調書に記載されていること、(二)右発見された時から急報により警察官が現場に来るまでの間、少年は逃げないように監視されていたが、この間に少年が庭に紙を投げたのを目撃した小○○一という子供がいること、後で拾つてみるとその紙は手帳を破いた一〇枚のメモ(前掲証拠物)で、このメモには本件○進湯を含めて東京都内の浴場一五個所を目標とした地名入りの図面が鉛筆で記載されていること、破り捨てた残りの手帳を少年が持つていたこと、この手帳について少年は○進湯の前で拾つたが何か字が書いてあるので書いてある部分を、入浴前に、破いて捨てたと弁解していること(少年の筆跡は調べていない)、(三)六五番ロッカーの上にあつたカミソリの刄をたてに割つたもの(証拠物)で同ロッカーの錠をあけることができること(指紋は調べていない)、(四)現行犯人逮捕手続書によれば小○○サは少年(ももひきをはいた背の高い男)を指さし「今その男が安全カミソリを右手に持ちながらロッカー六五号の錠を開けて中の衣類をかきまぜて何かとろうとしていた」と申立てたこと、などが認められた。そして少年は昭和三九年一一月一日頃単独で大阪から東京に行き、単独で約四日間都内を浮浪していたと述べて居り、検察官の所謂「不良仲間との交友」の事実は前記犯行現場で少年を番台から見えないようにするために間に立つていた男を除いては、記録から全然窺い知ることができなかつた。

そこで当裁判所は、窃盗未遂再送致事件について、審判を開始し、附添人鈴木正一弁護士の意見をきいて証人尋問、検証を行い、前掲各証拠によつて罪となるべき事実を認定したものである(尚当裁判所は第一回審判期日(昭和三九年一二月二五日)において参考のため前掲のメモの文字をペンで写したものを見せて鉛筆で少年に手書させたところ、その筆跡はメモと酷似していた)。

少年は、当庁において、昭和三六年七月一三日恐喝未遂、窃盗、賍物収受、窃盗各保護事件により保護観察、同年一〇月三一日虞犯保護事件により所在不明で審判不開始、同三七年四月二六日窃盗同未遂、窃盗同未遂各保護事件により初等少年院送致の決定を受けて居り、早くから家出→浮浪→不良交友→犯罪の悪循環を繰返して来たことが、これまでの少年調査記録によつて明らかである。今回の申立直前の行動は少年の供述に極めて曖昧なものがあるが家出→浮浪までは次のことから窺い知ることができる。(一)、父親は昭和三九年一二月一七日付検察官調書中で、少年が東京に行つて働くと言い出したのでそれを承知した旨述べているけれども、当庁家庭裁判所調査官昭和四〇年四月一三日作成調査報告書によれば、少年は昭和三九年九月末頃東京に出て働くと言つて家出したこと、保護司はそれを家庭内の不和が原因と推察していたこと、少年は姉にだけ話したことが認められ、昭和三九年一二月七日付審判調書中少年供述記載部分によつてこれを見ても、少年は再送致前の審判廷で「東京に行くとき姉に話したところ姉は行くなと言いましたが私は行きたくて仕方がありませんでした」と述べている。(二)、少年の昭和三九年一一月一四日付司法警察員調書によれば、少年は、上京第一日目は行きずりの浅草の○リ○ンという喫茶店で泊めてもらい、二日目は浅草新世界裏の自動車の中で泊り、三日目はあつちこつちぶらぶら歩いて夜は自動車の中で泊り、四日目もぶらぶら職を探して夜はどこか広場に置いてあつた自動車の中で泊り、事件のあつた日も亀戸方面を朝一〇時頃からぶらぶら歩いて職を探していたと述べている。以前同様の悪循環を繰返しているのである。

このように、少年は、保護観察だけでなく、施設収容という高度の社会資源の利用を受けたのにもかかわらず、自分から不良な環境に飛び込んで、再び罪を犯すに至つたものであつて、もはや保護の限界を超えていると言わざるを得ない。

よつてその罪質及び情状に照らし、刑事処分を相当と認め、少年法第二〇条第二三条第一項により、主文のとおり決定する。

(裁判官 木村輝武)

参考

司法警察員作成(昭和三九年一一月七日付)少年事件送致書記載の犯罪事実

被疑者は、昭和三九年一一月○日午後四時一〇分ころ東京都江東区○○町○の○○番地○進湯こと小○○二方男脱衣場においてロッカーをあけ渡○清所有の金品を物色中家人に発見されたため窃盗の目的を遂げなかつたものである。

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